40年ぶりの酒蔵復活、岩手の清酒と地域を盛り上げる世嬉の一酒造

世嬉の一(せきのいち)酒造株式会社は、40年間、酒蔵を改築し、郷土料理レストランや直売所として活用しています。

世嬉の一酒造株式会社は、今回「酒造復活プロジェクトのクラウドファンド」を開催しました。

お客様とのつながりができた成果があり、多くの支援が集まりました。

これから世嬉の一酒造株式会社は、自社でのお酒造りに挑みます。

そこで、4代目社長の佐藤航さんに話をうかがいました。

世嬉の一株式会社

社長 佐藤 航さん

皇族から「世嬉の一」の名前を賜る栄誉

酒蔵を改築し、直売所に

──世嬉の一酒造の歴史から教えてください。

佐藤 航さん(以下、佐藤社長)  世嬉の一酒造は1918年(大正7年)より創業しています。明治時代の酒蔵不況の時に、私のひい爺さんが江戸時代から続く酒蔵を買い取り、当初は横屋酒造と名乗っていました。

※明治時代の酒蔵不況・・・明治時代では酒造りの自由化が進み、最盛期には日本全国で3万を超える酒蔵がありました。しかし一方でお酒の重税化も進み、課税に耐えられない酒蔵の倒産も相次いで起こり、この酒蔵不況では半数近くが淘汰されています。

皇族の閑院宮(かんいんのみや)さまが訪れ、場所が一関市ということもあり、「世の人々が嬉しくなる一番の酒造りを目指せ」との意味を込めて「世嬉の一」という名前を賜りました。

戦前は岩手県を二分するほど大きな酒蔵でした。しかし第2次世界大戦の時には、国策により世嬉の一を含む酒造会社は合併しました。

※酒造会社の国策合併・・・戦時体制下では企業統合が政策的に行われました。たとえば銀行・金融の一つの県に一行の銀行に集中する政策がその代表例です。

酒造会社でも統合が進み、この地方では世嬉の一酒造を含む酒造メーカー14社が合併し、両磐酒造を設立しています。

世嬉の一酒造は、1957年には両盤酒造から分離独立し、規模を縮小して再出発しています。

1947~48年に、カスリン・アイオン台風が連続して襲い、地元の磐井川がはんらんするなど祖父の世代は大変苦労したそうです。

その後独立したものの、祖父は酒蔵をつぶし、酒造会社を廃業することを遺言として残しましたしかし、祖母は世嬉の一酒造を存続することを願いました。

今でこそ国の有形文化財の酒蔵ですが、当時はなんの指定も受けておりません。厳しい状況も変わりませんので、共同醸造という形でこの地での醸造を辞めました。

当時、経営していた一関自動車学校を売却、空いた蔵を改築し郷土料理レストランや博物館、直売所として残したのです。

共同醸造・・・2つ以上の酒蔵が一つの工場で酒を醸造し、経費を削減すること。

1995年には使っていなかった酒蔵で「いわて蔵ビール」の生産をはじめ、今では東北で一番古いビールブランドになり、これは伸びています。

ただし、東日本大震災やその後のコロナ禍に見舞われ大変な時期もありました。この一関市でも酒蔵が壊れたのです。父母は何とかこの酒蔵を残したいという思いも強く、震災を機に私が代表になりました。

そして今、40年ぶりに酒蔵が復活しました。クラウドファンドで多くの方からご支援をいただいたことは本当に感謝にたえません。これから自社醸造の清酒を復活します。

世嬉の一酒造の日本酒の商品

自社でのお酒造りを復活し、海外輸出を

──清酒「世嬉の一」に対する想いについて教えてください。

佐藤社長 岩手県一関市発祥の酒造会社としては、誇り高い名前です。日本酒とは別に、「いわて蔵ビール」をアメリカ、ヨーロッパ、アジア各国に販売し、海外に輸出しています。

日本酒は日本古来のもので、高い魅力があふれています。そこでお酒の人口を地域や国内だけではなく海外に目を向けると日本酒には明るい未来があるのです。

特に清酒は香りや繊細さがありますので、水の味が出やすい清酒を極めていけば、酒造会社としての強みも生まれますのでやりがいのある仕事です。

クラウドファンド時のスタッフ

クラウドファンドでお客さまとつながる

──今回、酒蔵復活プロジェクトのクラウドファンドを開催し、支援を受けられた経緯やその後の動きについて

佐藤社長 実は世嬉の一酒造では、ビール部門の回復後、お酒造りの復活を計画していました。ところが東日本大震災で酒蔵は被災し、新規事業どころではなかったのです。

その後、ビールやレストラン部門が忙しくなり、今の流れでは無理して酒蔵を復活する必要はないと考えていました。

しかし、コロナ禍で創業の仕事であるお酒造りを強化したいとの思いがあり、背水の陣ではじめました。

ただし、ビールは多くとも、清酒「世嬉の一」のファンはそれほどおりません。直売店とネット販売しているだけで販路もないのです。

そこでクラウドファンドを通じて、日本酒のファンとお酒造りを一緒にやってくれるお客さまを増やしたかったのです。

クラウドファンドで支援を求めました。100万円を目標にしていましたが、初日でクリアし、想定以上の多くのご支援をいただきました。ただし本来は、多くのお客さまとつながることが目的でしたので、本当によかったです。

現在、酒蔵工場は完成しました。最初のお酒造りにチャレンジ中で、日々未来を感じています。

新たに生まれ変わった酒蔵

海外への輸出好調なビール

──酒蔵が復活されましたがこれからどのように動かれますか。

佐藤社長 今後10年、どのように会社を運営していくかを考えたときに、経営ビジョンをつくることが必要で、「地域食文化の継承と革新」としました。

これは、気持ちの良い仲間とともに、地域食文化の継承と革新を通じて、世界が喜ぶ商品をつくることを意味しています。

どの部門もそのままつくるのではなく、チャレンジしてお客さまに出しています。たとえばビールの原料は、ホップ、大麦と水ですが、日本らしいビールにアレンジしました。

※ポップ・・・つる性の植物で、ビール特有の「苦味」「香り」を付けるほか殺菌効果もあります。

和食の二大香辛料の一つであり、一関産の山椒(さんしょう)の実をホップに代わりにしています。これは、「ジャパニーズスパイスエール山椒」として商品化し、スパイシーで柑橘系の爽やかなビールになりました。

このビールはおかげさまで、海外で「ワールドビアアワードアジア部門金賞」を受賞し、輸出も盛んです。

海外で高評価の「ジャパニーズスパイスエール山椒」
引用:楽天市場

このほか当社の「蔵元レストランせきのいち」では、一関市の郷土料理「餅食文化」をレストランの業態に変えています。

同じように日本酒もただつくるだけではありません。地域のおコメを使うなどのチャレンジすることによって、「世嬉の一」らしさが生まれていきます。

蔵元レストラン

海外戦略の裏には地域の人口流出が

──海外で日本のビールが好評というのは素晴らしいことですね。

佐藤社長 ここ最近、岩手県の人口減少が激しく、当社のスタッフが10~20年と生きていくために、国内や地元のマーケットだけでは厳しいです。

そこで輸出業務は大切です。ちょうど地ビールブームの時にビール部門を立ち上げ15年の歳月が流れました。販路も整っており、海外の大きな賞を受賞、ニューヨークやロンドンでも販売中です。震災後、特に海外は一つのマーケットとしてとらえています。

また、今回の酒蔵復活でお酒造りを本格的に行いますが、販売は国内だけではなく、海外も視野に入れています。今年1年間かけて、酒造りに挑戦します。来年には取引先にたいして、新商品の日本酒を紹介していくことになるでしょう。

雪に囲まれた敷地内

お酒づくりには南部杜氏の奮闘が欠かせない

──お酒づくりでは南部杜氏(とうじ)※がご活躍されているようですね。

佐藤社長 杜氏は酒づくりのリーダーで、岩手の杜氏は「南部杜氏」と呼ばれ、新潟の「越後杜氏」、兵庫の「丹波杜氏」と並び、日本三大杜氏集団の一つです。

※杜氏・・・酒造りの最高責任者で、杜氏の下で働く蔵人(くらびと)を管理・監督します。

南部杜氏になるにはまず「(一社)南部杜氏協会」に所属して、試験も何回か受け、合格すれば南部杜氏を名乗ることができるようです。昔は出稼ぎで各地を転々していたようですが、今はほぼ社員化しています。

私どもがお酒造りをお願いしている南部杜氏の方とともに、「世嬉の一」の日本酒も各賞を受賞されているので本当に技術力のある方で敬意を抱いています。

南部杜氏の技術は秘伝ではなく普通に教えてもらえます。そこでノウハウを社内に生かしていくことが重要です。

奥羽山脈からわきでる良質な水に恵まれる

──酒造りに欠かせない水についてどうお考えですか

佐藤社長 日本酒では水が重要で、水が酵母の発酵に必要な成分、水の硬軟によって味が変わってきます。いい水は欠かせないのです。

岩手県一関地方は、古くから北上山地・奥羽山脈よりわき出ずる豊かな水と稲作に恵まれている土地です。

岩手の冬の気温と、地元の良質な水、最高のお米の組み合わせが美味しい日本酒を生み出しています。硬軟でいえばどちらかといえば軟水に近いです。このお水を使うと軟らかい味になるので、飲みやすくなります。

コンサル会社から酒造会社への後継ぎに

──酒造会社も後継者問題で非常に悩んでいるところもあります。そこで後継ぎになる決断をされたわけですが。

佐藤社長 私は東京でコンサルタント会社に勤務していました。岩手に戻ることについては悩みました。

もし、世嬉の一酒造が普通の造り酒屋でしたら、戻っていなかったでしょう。しかし父と母が頑張って、お客さまと接する場である郷土料理レストランや直売所、日本酒だけではなくクラフトビールもつくっていましたので、一関市に可能性を感じていました。

当時は赤字でしたが、頑張って立て直したいという想いもありました。会社の将来像をどうつくっていくかが大切です。常に魅力があり、チャレンジをする会社をつくっていけば、後継者問題に悩むことはありません。震災、コロナ禍での経営は大変でしたが、楽しくやっています。

世嬉の一酒造株式会社

〒021-0885 岩手県一関市田村町5番42号
TEL:0191-21-1144 
FAX:0191-21-1143

この記事の執筆者

長井 雄一朗

建設業界30年間勤務後、セミリタイアで退職し、個人事業主として独立。 フリーライターとして建設・経済・働き方改革などについて執筆し、 現在インタビューライターで活動中。

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