お米とお水、そして作り手もすべて静岡県産で全国に挑み、鑑評会で話題の花の舞酒造

幕末時に創業した花の舞酒造株式会社(静岡県・浜松市)は、南アルプスの軟水、静岡県産のお米、さらに作り手も同県民とオール静岡で生産していることに大きなこだわりを持っています。

お料理・おつまみを引き立て、「気が付いたらこんなに飲んでいた!?」というお酒造りを目指しているとのことです。

今回、静岡県・浜松市でただ一つの酒造会社である花の舞酒造株式会社の名誉杜氏・土田一仁さんにお話しをうかがいました。

花の舞酒造株式会社

名誉杜氏 土田一仁さん

お水は南アルプス天然水の軟水を利用

南アルプスの軟水を原料に活用

──花の舞酒造株式会社の歴史と概要からお願いします。

土田一仁さん(以下、土田さん) 創業者・高田市三郎が1864年(元治元年)に遠江国(とおとうみ)のあらたま村でお酒造りを始めました。

※遠江国・・・静岡県西部の旧国名

当時はペリーが浦賀に来航した11年後、桜田門外の4年後、大政奉還の3年前に当たり、幕末も大詰めを迎え時代の節目にありました。

かつてこの地域は、引佐郡(いなさぐん)と呼ばれていたことから、1949年(昭和24年)に引佐酒造株式会社を設立し、後に花の舞酒造株式会社と改称し現在に至ります。

酒蔵は、秋葉街道の宿場町として栄えた宮口にあり、町の中心に位置する庚申寺門前の石畳沿いに、風雅なたたずまいを見せています。新東名の開通により、花の舞酒造への訪問が随分と便利になりました。

※秋葉街道・・・長野県南部と静岡県西部を結ぶ街道。海から信州に塩を運ぶことから「塩の道」とも呼ばれています。

花の舞酒造は浜松市の北区にあります。ここはやや山間部で、深さ80mまで井戸を掘っているのですが、井戸から採れるお水は南アルプスの天然水で軟水です。

お米も静岡県産の「酒米(さかまい)」を使用しています。

※酒米・・・日本酒の原料として使われるために作られたお米です。
※山田錦・・・イネ(稲)の品種の一つ。主に日本酒醸造に用いられており、酒米の王ともいわれています。
※酒蔵・・・お酒を製造したり、貯蔵したりする蔵のことを指します。

季節杜氏から社員杜氏に転換へ

蔵人のお酒造りのもよう

──土田さんがはじめて社員杜氏になられたのですね。

土田さん はいそうです。私が杜氏になったのは1991年(平成3年)の時です。

※杜氏・・・お酒造りの最高責任者で、杜氏の下で働く蔵人(くらびと)を管理・監督します。

40年前までは杜氏や蔵人が広島県から出稼ぎに来てお酒造りを行っていました。

※蔵人・・・杜氏と呼ばれる日本酒造りの最高責任者のもと、日本酒造りに従事する人を指します。

ただ出稼ぎの時代も終わりつつあり、蔵人も一人、二人と減りお酒造りのスタッフが次々と去っていきました。

そんな中、季節杜氏の方が私に対して、「よかったらお酒造りを覚えないか」というお言葉をかけていただきまして、その後10年くらい広島県の杜氏からお酒造りを学びました。

私が蔵に入ったのは22歳で、33歳になったときに前杜氏が引退。「土田、お前が杜氏をやってみろ」と言われました。私は今64歳で名誉杜氏ですが、30年以上もお酒造りに生きてきました。

当時、東京・北区王子にあった「醸造試験所」の研修会やセミナーで「いい麹とは?」「酵母菌の培養の仕方」など化学的な部分も学びました。酒蔵で長年、お酒造りを学んだ経験により、責任のある杜氏に就任することになったのです。

開所当初、醸造工場として使われていた建物(東京都北区王子)
引用:国税庁 醸造試験所の創設
醸造試験所の歴史

醸造方法の研究や清酒の品質の改良をはかること、講習会により醸造技術や研究成果を広く普及させることなどを目的に、1904年(明治37年)に創立されました。

醸造試験所は、1995年(平成7年)に広島県・東広島市に移転し、国税庁醸造研究所に名称を変更。
2001年(平成13年)には独立行政法人酒類総合研究所となり今日に至っています。

今は幸いなことに、30代の若き気鋭の杜氏である鎌江慎太郎君がお酒造りを引き継いでおりますので、安心しています。

技術の継承の実現ではじめて一人前といえる

──素晴らしい杜氏の後継ぎにも恵まれましたが、どの業界も技術の継承は大きな課題です。うまく継承できたポイントを教えてください。

土田さん どこの職人の世界でもいえますが、技術を継承してはじめて一人前だと思っています。

自分で仕事をこなすだけでは一人前ではありません。次の代に継承してもらい、先代を超える人物が台頭してくれば、杜氏冥利(みょうり)に尽きます。

この先はどうなるか分かりませんが、おかげさまで、浜松市でお酒造りをやりたいという意欲的な若者が多いです。

今は、「俺の背中を見て覚えろ」という時代ではありません。若い時は、杜氏をつとめていた方は神々しく見えましたから、自分も「こんな素晴らしいお酒を造りたい」という想いが強かったです。

あるいは他の酒蔵の杜氏を見ても、「素晴らしいお酒を造られる方だ。この人と新酒鑑評会で勝負したい」という憧れの気持ちを抱いていました。

日々の仕事だけやっていると疲れるので、なにか目標を持つことが大切です。それは目指すべき人物、お酒の品質などさまざまあります。

技術を継承するにあたり、他人から憧れるような人物になることがとても重要で、それが先輩としての使命です。

若き現杜氏・鎌江慎太郎氏

静岡県のお酒は全国新酒鑑評会で高い評価

──広島県といえば「安芸津杜氏」(あきつとうじ)が有名ですが、なにか特徴がありましたか。

土田さん 技術的に麹は時間をかけてつくり、お酒に味をのせます。それに比べて静岡県のお酒は端麗で綺麗な丸いお酒です。

※安芸津杜氏・・・広島県・東広島市安芸津町は、「吟醸酒誕生の地」「広島杜氏のふるさと」「広島酒の祖」と言われています。酒造家・三浦仙三郎が開発した醸造法はのちに吟醸造りとなり、三浦氏が育てた杜氏集団は安芸津杜氏と呼ばれ現代の広島杜氏の元となり、広島杜氏によって吟醸造りが各地に普及しました。

花の舞酒造は吟醸酒系を得意とする酒蔵になっていったのですが、自分が酒蔵に入った当時は、静岡県のお酒で決まったテーマがなかったように思いました。

そこで静岡県のお酒は、広島県から出稼ぎに来ている杜氏によって味わいに差があったことが分かったのです。

花の舞酒造で時間をかけてつくった麹をもとに、ボディのあるお酒を造っていました。静岡産ですが、しっかりしたうま味があって、キレのいい味が広島流のお酒でした。

静岡県は温暖な気候で軟水です。しかし静岡県産のお酒の知名度は薄く、時代によっては他県の方から「静岡県はお酒を造っているんですか?」と質問されたこともあったのです。

そこで沼津工業技術支援センターが、静岡県の気候とお水に合った酵母菌を開発。それ以降、静岡県のお酒は上品できれいな丸いお酒を表看板にして、県全体の酒蔵がその方向でお酒造りを行いました。

その結果、全国新酒鑑評会の金賞・入賞などの受賞率は抜群に上がりました。

こうした経緯を経て、日本酒業界の中では、「静岡県は吟醸酒王国」と呼び声が高くなっています。

※吟醸酒・・・米を重量にして、精米歩合60%以下の白米を原料に用い、低温で長期間発酵させて造ります。

香りはほどほどで、お酒がでしゃばるのではなくお料理・おつまみに合うお酒です。食前・食中・食後いずれも飲み疲れしないお酒が、静岡県のお酒。

「いつの間にかこんなに飲んだ」という感想を持たれるようなお酒といえます。

お酒は、「お水ありき、お米ありき」

最近人気の超辛口純米酒

──日本酒におけるお水の役割についてはどうお考えですか。

土田さん 実は、お酒造りは技術的な部分があっても原料を越えられないと思っているのです。その原料とは、お米とその土地のお水です。

今、酒蔵の廃業が続いています。もちろんお水の良しあしだけで決まるものではありませんが、お水も一つの要因ではないでしょうか。

お酒は、「お水ありき、お米ありき」なのです。

静岡県は時には、「水に浮いている県」と表現されることがあります。富士山や南アルプスの何万年・何千年の雪解け水が地下に貯水されているからです。

また、静岡県はお茶の名産地としても知られていますが、これはお茶だけではなく軟水のお水が果たした役割も大きいのではないでしょうか。

そういうことで、お水が果たしてきたお酒造りの役割は大きいといえます。

静岡県産の「山田錦」の普及に力を入れる

静岡県産の「山田錦」がお酒造りの大きな武器に

──話は変わりますが、酒米「山田錦」は兵庫県産のイメージが強いものの、最近では他県でも積極的に生産されています。そういう中で、「静岡山田錦研究会」が設立され、花の舞酒造が事務局となりましたがこの意味について教えてください。

土田さん 地元静岡にこだわる花の舞酒造は、「山田錦」に対して「兵庫県産に負けないものを作ろう!」と呼びかけ、地元の酒米栽培農家とともに挑戦をはじめました。

そこでデータを積み重ね、肥培管理を修正し、3年後には杜氏も納得するほどのお米が出来るようになっていました。

最初は、静岡県で「山田錦」を作っても特定奨励品種として認められていなかったのです。

そこで「山田錦」を一定の量を作る必要がありました。実は、農家と酒蔵では作って喜ぶお米は違います。そこで酒蔵が喜ぶお米とはどういうものかを農家の方と意見交換し、調整をしてきたのです。

農家の方も真剣に勉強し、ある条件をクリアすることによって静岡県でも「山田錦」が作れるようになりました。

そこで花の舞酒造が事務局となり、1998年(平成10年)に多くの酒米栽培農家に参加を呼びかけ、「静岡山田錦研究会」を設立しました。今は花の舞酒造では50軒の農家の方と契約を結んでいます。

実は稲作農家にとっても販路が安定した「山田錦」の生産は魅力的な取り組みとなり、若手の後継者も研究会に集まりはじめ、作付け面積を増やすメンバーも増えています。

純米吟醸酒や超辛口純米酒が人気に

アメリカで話題沸騰の超辛口「日本刀(かたな)」

──今、力を入れている商品は何でしょうか。

土田さん 市場全体が純米酒を求めています。そこで「純米吟醸酒」や「純米大吟醸酒」に力を入れています。

※純米吟醸酒・・・醸造アルコールを一切混ぜずに製造される。お米と米麹、そしてお水のみを原料とすることで、お米そのものの旨味を十分に引き出すことができます。
※純米大吟醸酒・・・お米、米麹、水のみを原料として、50%以下の精米歩合の米を使い、吟醸造りという製法で造られる日本酒のことを指します。

純米ではありますが、軽快で飲み飽きしないお酒を造っています。強い香りや個性のあるお酒ではありません。しかし、お米のうま味を活かしつつもサラッとして飲みやすい。

「純米酒」は各酒蔵の個性が出やすいです。花の舞酒造では、各飲食店様が求めている綺麗で丸く優しい「純米酒」を提供しています。

※純米酒・・・醸造アルコールを使用せず、お米、米麹、お水を原料にして製造した日本酒です。 

最近は、精米歩合60%の「超辛口純米酒」にも人気が集まっていますが、軟水なのでビシッとした辛さではありません。

※精米歩合・・・精米(玄米から表層部を削ったお米)して残ったお米の割合を%で表したものです。たとえば、「精米歩合60%」と書いてある場合は、玄米の40%を削り取り、60%のお米が残っている状態を指します。

サラッとした味わいで飲食店様の刺身などの小料理に合うので、好評です。アメリカへの輸出仕様商品では、超辛口の純米吟醸「日本刀(かたな)」が好評です。

──今、アメリカの輸出の話が出ましたが、海外進出はいかがでしょうか。

土田さん 私が現役の杜氏をつとめている時から、アメリカから輸出のオファーがありました。オファーの内容は、「これから地酒ブームになるから、超辛口の純米酒を造って欲しい」とのことでした。

各酒蔵としてはいろんなタイプの日本酒を海外で販売していますが、花の舞酒造としては、「スッキリ辛口タイプ」を武器に進出しています。

一方、中国でも「本醸造」タイプのお酒の注文が入っています。

※本醸造・・・原料におお米と麹に醸造アルコールを添加した日本酒を指します。

スパークリング日本酒にもチャレンジ

JR浜松駅構内の販売所

──酒蔵としていろんなチャレンジをされていますね。

土田さん 自分も杜氏就任が33歳でしたが、今考えると当時の社長はよく決断されたなぁと思います。花の舞酒造は失敗したら怒られる酒蔵ではなく、挑戦しないと逆に怒られる企業風土があります。

今、売れているお酒で満足すべきではありません。酒蔵も企業ですから、成長期と衰退期が必ずやってきます。

衰退期に入る前に、次の一手を打つ必要があるのです。とはいえ私は伝統的な杜氏でしたから、今発売している「スパークリング日本酒」は、若きお酒の作り手である山口晃君が活躍しています。

花の舞酒造は、お酒造りの守るべき伝統はしっかりと守りつつも、革新的なことの試みを行っています。

花の舞酒造株式会社
静岡県浜松市浜北区宮口632
TEL: 053-582-2121

FAX: 053-589-0122

この記事の執筆者

長井 雄一朗

建設業界30年間勤務後、セミリタイアで退職し、個人事業主として独立。 フリーライターとして建設・経済・働き方改革などについて執筆し、 現在インタビューライターで活動中。

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