あさくら観光協会が伝えたい、朝倉市郡域の水の恵みと観光資源

福岡県朝倉市は、2017年7月の「九州北部豪雨」で周辺地方自治体も含め大きな被害を受けました。

一方、水に恵まれ地場の酒造会社が美味しいお酒を造り、ダムをはじめとするインフラツーリズムの観光資源にも恵まれています。

今回は、あさくら観光協会の里川径一事務局長に観光と水について話を伺いました。

あさくら観光協会

里川径一さん

事務局長

メインビジュアル・・・日本最古の実働する水車として有名な朝倉の三連水車(引用:あさくら観光協会Twitter)

「九州北部豪雨」のイメージを払拭し、水の恵みを伝えよう

『朝倉、みず物語』の配布はすべて完了し、同協会のHPで見ることが可能
引用:あさくら観光協会

――『朝倉、みず物語』を作成された経緯について

里川径一さん(以下、里川さん) 朝倉市やその周辺地域は、2017年7月に「九州北部豪雨」にみまわれ、多くの被害が発生しました。

本当にありがたいと感じたのは、被災後では大変多くの方がボランティアとして朝倉市の復旧・復興のお手伝いをしていただいたことです。

朝倉市は水の災害にみまわれる地域です。一方水の恵みにより、福岡で一番湧出量が多い原鶴温泉(はらづるおんせん)も有名です。

ほか地場の酒造会社がおいしいお酒を造ったり、アジアでもっとも敷地面積が大きいキリンビールの工場もあったり、水の恩恵を受けています。

春には桜やいちご、秋には紅葉やコスモス、そして梨や柿などのフルーツなどにも恵まれ、美しさも創造する素晴らしい地域です。

ただ、水害が多いイメージで全国に伝わったことは残念です。私自身も家が流され、被災しました。

しかし落ち着いて考えてみると、本当に太古の昔より、恩恵を受けている豊かな地域であると改めて気づきました。

朝倉市にはダムが3つあり、市も水の回廊として朝倉を発信していきたいと考えています。そこで、本協会は朝倉市と共同で『朝倉、みず物語』を発刊することとなったのです。

朝倉市にはダムが3つもあり、有力な観光資源に

完成した小石原川ダム。ダム湖は公募により「令和あさくら湖」と命名された
引用:小石川原ダム管理所 Twitter

――最近インフラツーリズムが人気で、ダム観光が話題になっています。これらダムについて紹介していただけますか。

里川さん 2021年10月から運用が始まった、小石原川ダムが最も新しいです。堤体の高さは139mと、九州のダム中で最大の高さを誇ります。ほか江川ダム、寺内ダムがあり、これらが朝倉の3ダムです。

それぞれダムの雰囲気は違いますが、自転車で回ってはいかがですかと紹介しています。この3つのダムをつないで走るルートは適度な勾配もあり、トレーニングにも最適なコースです。

ルートにはダムのほか、農産品や加工食品が販売されている「あきづき市場」や、水の大切さや不思議さを楽しく学べるテーマパーク「あまぎ水の文化村」もあります。

また、小石原川ダムの堤体を作る時に削られた山の作業道を利用して作られた常設コース「あさくらマウンテンバイクパーク」もオープンしています。

2つのダム湖を眼下にできる見晴らしの良いコースです。マウンテンバイクを持っている方が対象で、ガイドを依頼されたい方は予約が必要となります。

今からコースを楽しんでいけば、森が育っていく過程も一緒に体験できるでしょう。

「あさくらマウンテンバイクパーク」が2022年10月にオープン
引用:朝倉市ホームページ

このほか、2022年4月にオープンした福岡県のオートバイ専用練習場「小石原川ダムふれあい公園」もあり、絶景の中でオートバイを練習できる魅力的な発信の場です。

――最近、ダムカードも人気のようですね。

里川さん 国土交通省と(独法)水資源機構の管理するダムでは、ダムのことをより知っていただこうと、2007年から「ダムカード」を作成し、ダムを訪問した方に配布されています。

2022年6月1日から小石原川ダム管理所などで配布しております。

江戸時代から続く、かんがい施設が現役で活躍

山田堰は国を超えて、アフガニスタンに技術移転された
引用:あさくら観光協会

――江戸時代から続く、かんがい施設も現役ですね。たとえば山田堰や三連水車はとても有名ですが。

里川 山田堰は、江戸時代に干ばつで苦しむ農民たちを救うため、筑後川右岸の耕地を水田化するために設けられた井堰(いせき)です。

※井堰・・・水を他へ引いたり流量を調節したりするため、川水をせきとめる所。

水流に対して石を斜めに敷き詰めた方式で、全国にただ一つ現存しています。1790年に完成し、その後何度も補強工事が行われましたが、全体の形や石はほぼ当時のままです。

国際かんがい排水委員会(ICID)から世界かんがい施設遺産に認定され、土木学会の「選奨土木遺産」にも選ばれています。

この山田堰と、アフガニスタンで亡くなった中村哲医師は深いかかわりがあるのです。現地で医療行為に奮闘されていた時に、なによりも水が必要であることに気が付きました。

中村晢さん
引用:日本経済新聞

最初は井戸を掘っていましたが、それでは間に合いません。近隣にクマール川が流れていたのですが、この川からどうにか水を引くことはできないかと考えていました。

中村医師は福岡出身です。山田堰を見て、これこそがアフガニスタンで水を確保する方法だと確信を抱いたそうです。

医師なのに、何度も山田堰を視察し研究を重ねました。2010年に全長25.5kmのマルワリード用水路を、さらに2019年に山田堰の技術を移転した堰を現地で完成させています。

中村医師は生前、何度も朝倉市で報告会を開催し、山田堰の現地技術移転の話もされていました。

他にも、日本最古の実働する水車として「三連水車」が有名です。山田堰で取水した筑後川の水が堀川用水に流れ、流れる水の力で水車が回り、現役で農地をうるおしています。

江戸時代から今も同じようなカタチで残っております。

三連水車は今も農地を潤している
引用:あさくら観光協会

1990年には、これらの揚水車群は「堀川用水」とともに国の史跡に指定されています。

こうした背景もあり、朝倉市では修学旅行生を受け入れ、山田堰の教育プログラムを作成しております。先人が造り、現在もなお生き続き、アフガニスタンの地をうるおすこともできたことは素晴らしいことです。

アフガニスタンもタリバン政権に政権が変わり、少し不安でしたが中村医師が造ったインフラについての評価は変わることなく、現在でも「素晴らしいものだ」と絶賛されています。

アフガニスタンでは、現地のスタッフの方々が中心となり、中村医師の遺志を継いでいます。山田堰と同様な堰は現在1つのみですが、現地の政府と協力してこれから10以上つくる計画があるそうです。

山田堰とアフガニスタンでの技術移転した同様な堰
引用:広報あさくら2020年2月1日号

福岡県最大のお湯の量を誇る原鶴温泉

福岡県と大分県の県境にある、筑後川のほとりの静かな温泉郷・原鶴温泉
引用:あさくら観光協会

――原鶴温泉(はらづるおんせん)など魅力的な温泉街もあるようですが。

里川さん 本協会の管轄は朝倉市に加えて、朝倉郡である筑前町や東峰村も含みます。小石原川ダムのさらに先に行くと、東峰村になり小石原焼の窯元が約60件集まっています。

※窯元・・・陶磁器を窯で焼いて作り出す所。また、その陶磁器を作る人

小石原地区は陶器に適した土と登り窯の燃料となる木々に恵まれ、長きにわたって焼き物が作られ続けてきました。

そして東峰村から朝倉市に戻ると、福岡一お湯が沸く温泉場である原鶴温泉があり、極上の泉質である「W美肌の湯」としても知られています。

弱アルカリ性単純泉と単純硫黄泉が楽しめ、アルカリ性温泉は肌の古い角質を落とす効果があります。

※弱アルカリ性単純泉・・・肌の角質をとる美肌効果があります。
※単純硫黄泉・・・泉質は神経痛、筋肉痛、疲労回復などの効能があります。

通常温泉組合を結成する理由は、泉源(せんげん)が1本で供給を分けるケースが多いのです。

※泉源・・・地中から水が湧き出てくる場所

しかし原鶴温泉は各旅館がご自身で泉源をお持ちなので、アルカリ性温泉では共通していますが、少し香りやお湯の質が違っています。

本協会では、原鶴温泉化粧水「TSURUHIME」を販売し、通販でも対応しています。原鶴温泉の温泉水を8割以上使用し、ヒアルロン酸を配合しているため、肌のみずみずしさが長持ちします。

※ヒアルロン酸・・・化粧品としては角質層をうるおして、肌にハリと弾力を与えます。

原鶴温泉化粧水「TSURUHIME」を販売
引用:あさくら観光協会

九州最大の一級河川である筑後川に面する温泉街で立地もいいです。

この筑後川では毎年5月から10月の期間、鵜飼漁(うかいりょう)が開催され、天然の鮎(あゆ)を取る様子を屋形舟で鑑賞することもできるのです。

※鵜飼漁・・・飼いならした鵜(う)を使って鮎などを獲る伝統的な漁法です。

篠崎、ゑびす酒造など挑戦的な酒造会社も

――水がよいところはお酒もおいしいと評判ですが、地元ではどのような酒造会社がありますか。

里川さん 地元の酒造会社では㈱篠崎があり、焼酎、日本酒、リキュールのお酒を造っています。

こちらも「九州北部豪雨」で被災され大変な苦労もありましたが、ウィスキーやワイン造りにチャレンジされています。

日本酒「比良松」は、「酒つくりは地域に根差したもの」のコンセプトのもと、地元の特約農家が作った山田錦を、地元の地下水で仕込んで造っています。

「米麹の甘酒」で瓶詰めされた商品では、シェア日本一です。さらに焼酎ベースのリキュール「朝倉」も人気です。

人気の焼酎ベースのリキュール「朝倉」
引用:篠崎 Facebook

次にゑびす酒造㈱は、「らんびき」という長期熟成麦焼酎で有名です。地元のさとうきびを使って、ラム酒造りを始めました。

「九州北部豪雨」後、地元の酒造会社は今までの伝統を守りつつ、新たな挑戦をポジティブに始める動きが出ています。

「らんびき」という長期熟成麦焼酎で有名なゑびす酒造でのお酒造り
引用:あさくら観光協会

伝統建築がしっかりと保存されている「秋月」

――伝統的な建築物も保全されているようですが。

里川さん 「筑前の小京都」といわれ、昔ながらの風景や街並みが残る「秋月」も見逃せません。桜や紅葉の季節には大変多くの観光客が訪れています。

一般的に観光地は、通り道のみ古い建物が残っている例もありますが、秋月は文化庁から「伝統的建造物群保存地区」に指定されています。

桜と紅葉の以外にも、新緑の時期もおすすめです。落ち着いたたたずまいの秋月もすてきですよ。

紅葉の季節は、秋月の雰囲気がとてもよい
引用:あさくら観光協会

邪馬台国は朝倉に存在した!?

――実は邪馬台国は、朝倉にかつて存在したという説もあり、説得力があります。

里川さん 古代史の研究家でもある安本美典先生は、30年来、邪馬台国について「甘木・朝倉説」を提唱されています。

安元美典さん
引用:中日新聞

朝倉周辺と大和周辺の地名が驚くほど一致し、プロット上に線で囲むとこちらも一致することが多いのです。

現在考古学では、奈良県の纒向遺跡(まきむくいせき)の研究成果により、邪馬台国はやはり機内大和に存在した説が有力になりつつあります。

※纒向遺跡・・・奈良県・桜井市の三輪山の北西麓一帯にある弥生時代末期から古墳時代前期にかけての集落遺跡・複合遺跡です。

しかし朝倉地域では、卑弥呼が魏(ぎ)から贈られたと伝わる三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)も出土しています。

※卑弥呼・・・『魏志倭人伝』の記録にあり、「倭国の女王」と称された。
※魏・・・中国の三国時代に華北を支配した王朝。

※三角縁神獣鏡・・・銅鏡の形式の一種で、縁部の断面形状が三角形状となった大型神獣鏡。

そして福岡の甘木・朝倉に存在した邪馬台国が東遷し、大和に移った時に地名も一緒に移ったものと考えられます。

実はイギリス人がアメリカに移民したときに、アメリカにイギリスと同じ地名がつけたことがありました。かつて古代日本で同じことが起こったのではないかというのか安本先生の説です。

朝倉地方には考古学的な遺跡が多く、たとえば国の史跡に指定されている「平塚川添遺跡」などもあります。

邪馬台国とゆかりがあったかもしれない「平塚川添遺跡」
引用:あさくら観光協会

そして、もう一つ大きな裏付けがあります。

朝鮮半島の南西部にある白村江(はくすきのえ)という場所で、日本が支援する百済軍と、唐と新羅の連合軍が海戦をおこないました。これを白村江の戦いといいます。

当時、斉明天皇という女帝の時代でした。朝鮮半島で戦争を行いますから、宮(みや)も通常であれば、博多あたりに移すべきなのでしょう。しかしこの60日間、朝倉に宮を移しているのです。

※宮・・・この場合、大王・天皇の住む御殿をいいます。
※朝倉宮・・・斉明天皇が営んだ宮殿。場所は福岡県・朝倉市にあったとされています。

やはり、なにもないところに宮を構えないと思うのです。朝倉は水の恵みもあり、筑後平野により、食べ物にも困りません。

そして、隣は大分県の日田市。もし朝倉市が攻められたとしても、日田市に逃げることも可能で軍事的・地政学的に有利な場所といえます。

白村江の戦いは負け戦になる可能性が高く、神仏の力を借りる必要がありました。

そこで当時の人々は、朝倉に女王・卑弥呼が存在したことを知っていたからこそ、女帝の斉明天皇は、朝倉に宮を置いたと思うのです。

まとめ

朝倉周辺の地域は古代から栄え、あるいは邪馬台国であった可能性もあるほどです。

「九州北部豪雨」の影響で水害が多いと思われがちですが、太古の昔より水の恵みの豊かな地域です。

お酒も日本酒、焼酎ベースのリキュールと多様でさらには福岡一、お湯が沸き出る原鶴温泉も有名です。

水の恵み豊かで日本の宮家もあった朝倉の地ですが、里川さんは「やんごとなき場所」(高貴な場所)と表現されていました。

あさくら観光協会

〒838-0068 福岡県朝倉市甘木1320
TEL:0946-24-6758
FAX:0946-24-9015

※火休館/祝日の場合は翌日が休館

この記事の執筆者

長井 雄一朗

建設業界30年間勤務後、セミリタイアで退職し、個人事業主として独立。 フリーライターとして建設・経済・働き方改革などについて執筆し、 現在インタビューライターで活動中。

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