【大和川酒造店】日本の酒どころ・会津地方で持続可能なお酒造りを支える3本の柱とは!?

日本の中でも有数な酒どころ・福島県会津地方。233年の歴史を持つ、合資会社大和川酒造店は、会津藩の殖産興業の政策で誕生しました。

「地の米」「地の水」「地の技術」の3つの柱を理念とし、お米やお水が地元であることは言うまでもなく、社員も全員会津地方です。

さらに、再生可能エネルギーの利活用の比率を向上するお酒造りを目指しています。

会津地方の中でもとりわけ喜多方にこだわったお酒造りについて、大和川酒造店の10代目当主である佐藤雅一社長に話をうかがいました。

合資会社大和川酒造店

佐藤雅一さん

10代目 社長

会津藩の殖産興業政策により誕生

合資会社大和川酒造店の10代目・佐藤雅一社長

──まず大和川酒造店の歴史からお願いします。

佐藤雅一氏(以下、佐藤社長) 大和川酒造店は、江戸時代中期の1790年(寛政2年)創業。今年で233年目を迎える造り酒屋です。

当時の会津藩(あいづはん)から、初代佐藤彌右衛門が酒造免許を受け醸造販売を始めたことがスタート。

※会津藩・・・福島県会津地方を中心に治めた藩。一時期、財政難であったが家老の田中玄宰が殖産興業政策の導入と農村復興などの藩政改革を断行。この殖産興業により、大和川酒造店が誕生した。

会津藩は、もともと農業が盛んでいいお米も獲れる地です。藩は産業としてお味噌、お醤油などに続いてお酒造りも奨励していました。

もともと蔵元の佐藤家は、奈良県の大和川の岸辺で綿花栽培を営む本家から分家し、喜多方に移住した経緯があります。社名が大和川とついている理由は、ここから来ています。

※蔵元・・・日本酒業界で「蔵元」では、「酒蔵の経営者」のことを指します。

この喜多方の地で、私を含め佐藤家は10代にわたりお酒を造り続けてきました。

また歴代の杜氏(とうじ)の一途な心意気により、「弥右衛門酒」をはじめとした銘酒を生み出しているのです。

※杜氏・・・お酒造りの最高責任者で、杜氏の下で働く蔵人(くらびと)を管理・監督します。

一方、使用する酒米(さかまい)は、早くから自社の田んぼや契約栽培農家で収穫された無農薬、減農薬無化学肥料の良質なお米に切り替えています。

※酒米・・・日本酒の原料として使われるために作られたお米です。

また自社の田んぼやそば畑を耕し、いのちを育む「農」の世界にも挑戦しているのです。

喜多方ラーメンのうまさの秘訣はお水にあった!?

お酒造りには妥協のない技術者の切磋琢磨が欠かせない

──日本酒におけるお水の役割についてはいかがでしょうか。

佐藤社長 お酒の味の大元は酵母やお米の作り方に左右される面もあります。しかしなによりもお酒造りの決め手はお水ではないでしょうか。

大和川酒造店は、地元喜多方の飯豊山(いいでさん)伏流水(ふくりゅうすい)を仕込み水として使用しています。

飯豊山・・・飯豊山地の標高約2105mの山。日本百名山や東北百名山の一つに数えられている。

伏流水・・・水がしみ込みやすい土地を川が流れると、水が地中にもぐりこんで流れます。 この水のことを伏流水といいます。

この伏流水のお水は軟水です。また、大和川酒造店は、別に農業法人を経営し、喜多方の田んぼでお米をつくっています。

お酒の仕込み水と農地で使われているお水は同じですから、親和性が高いお酒ができるのです。ただ軟水はミネラル分が少なく、お酒の発酵は硬水と比較すると弱めです。

しかし、大和川酒造店の高い醸造技術により、いいお酒が生まれています。

喜多方のお水は実にすっきりとしたまろやかな味わいとの表現がふさわしい。

話は変わりますが喜多方といえばラーメンが有名です。

喜多方はいいお水だからこそ、全国的に有名なラーメンが誕生したと思います。また、喜多方ラーメンに使われている醤油も喜多方産ですから、ここも他のラーメンと差別化できている点です。

農業法人「大和川フォーム」で酒米は自社栽培

酒米も自社で栽培するため、農業法人を設立している

──お酒造りのこだわりでは「大和川ファーム」の存在も大きいのではないでしょうか。

佐藤社長 大和川酒造店の特徴は「地の米」「地の水」「地の技術」と3つの柱があります。この意味は、地元のお米とお水を使い、お酒造りに欠かせない社員もすべて会津地方の方ということです。

最初から最後まで徹底して地元産の原料を使い自分たちの手で責任をもって商品を作るという地産に強い想いがあります。私どもはこうしたお酒について、「郷酒」(さとざけ)と表現しています。

2007年には農業法人「大和川ファーム」を設立し、酒米と普通に食べられるお米の両方をつくっています。

当初は7ha(ヘクタール)からスタートしましたが、今や約55haと大規模化しました。

酒米の品種は「夢の香」と「山田錦」の2種に厳選。以前は西日本のみ栽培されていた「山田錦」にチャレンジし、栽培範囲を福島県まで広げた意義は大きい。

今や「山田錦」で醸したお酒が全国、東北、福島県の各種鑑評会にて金賞をいただいております。

「夢の香」は、福島県産の酒米で従来の酒米「五百万石」同様の心白(しんぱく)を持ち、かつ同等の大粒米であり、溶けやすい軟質米です。

心白・・・米の中心にある、白い部分。心白があることがいい酒米の条件のひとつとされる。

開発されて以来10年も経ち、福島県の酒蔵ではかなり利用されている酒米と高い評価です。

福島県の酒蔵が会津地方に集中しているワケ

「地の米」「地の水」「地の技術」と3つの柱がお酒造りを支える

──福島県の酒蔵はさまざまなコンクールで高い評価を得ていますが、この背景にはどういったことがあるとお考えですか?

佐藤社長 それぞれの酒蔵が切磋琢磨してきた歴史的背景があります。また、福島県の中でもとりわけ会津地方に酒蔵が多く、品質に優れたお酒が生まれ、全国屈指の酒どころといわれています。

※酒蔵・・・お酒を製造したり、貯蔵したりする蔵のことを指します。

これは会津地方が、清らかな水に恵まれ、おいしいお米を実らせる米どころである点が大きい。夏は暑く、冬は寒さが厳しく雪もたくさん降ります。

盆地特有の気候、特に冬は厳しい寒さになる点がお酒造りに適した地理的要因です。

お酒は菌を使った醸造で、寒ければ寒いほどほかの雑菌に汚染されず、きれいなお酒ができやすくなるのです。

こうした地理的背景もあり、福島県の酒蔵の半分以上は、会津地方に集中しています。

私は、喜多方の良さについてはこれまでもそうであったようにこれからも内外に発信していきたいです。

技術の向上に基づくお酒造り

1990年に設立した「飯豊蔵」が技術の中枢

──次に新工場「飯豊蔵」(いいでぐら)の役割について教えてください。

佐藤社長 「大和川ファーム」では、自社栽培した原料米を使い、お酒造りを行っています。

また、お酒造りから出る有機副産物(米ぬか・酒粕)を利用し、肥料づくりを行い、循環型によるお米の栽培をしています。

お米の栽培から収穫、乾燥、精米にいたるまでの工程を、自社設備によって一貫して行える利点を生かし、緻密な水分の調整など、原料であるお米の処理には細心の注意を払っています。

「飯豊蔵」は、1990年に完成。冷水を利用し、しっかりとした温度管理で長期にわたり低温発酵が可能な発酵タンク、衛生的で高品質な麹づくりが可能な製麹装置を導入しました。

クリーンで酒造りに適した衛生的な環境の中で、さまざまな微生物たちの力によって醸し出されています。

お酒はすべて「中取り方式」という最良とされる部分だけをボトルへ瓶詰め、または貯蔵タンクへ貯蔵します。

瓶詰めされたお酒はパストライザーという設備を利用し、「火入れ」(加熱処理)により、品質が安定化するのです。

そのあとすぐ冷水により、瓶のまま冷却、お酒への熱によるダメージを最小限に食い止めます。

瓶詰め後は、お客様のお手元に届くまでの間、蔵の中でお酒の種類に合わせた適切な温度帯で一括冷蔵管理、次にラベルを貼ったのちに蔵出し、出荷します。

1990年当時は喜多方ラーメンブームもあり、多くの観光客が喜多方に訪れていました。

喜多方は蔵の街でもあります。当時の酒蔵は、現在の北方風土館で、江戸時代に建築した古い蔵です。

当時から蔵を開放し、観光客からはお酒造りとこの古い蔵に注目が集まっていました。

古くなった酒蔵を技術的にも一新するため、1990年に新たな酒蔵である「飯豊蔵」を開設しました。

古い酒蔵を北方風土館として活用、観光客からも人気

江戸時代の酒蔵が現存。観光客からも人気

──北方風土館は、江戸時代からの蔵が現存している貴重な存在ですね。

佐藤社長 会津藩にとって喜多方は、お米、味噌、醤油、お酒の有力な産地でありましたので蔵も多かった。ラーメンで有名になる前は、蔵が観光名所でした。

コロナ禍の影響で最近はなかなか観光客の方が訪問されていません。その前はかなりの観光客がいらっしゃいました。しかしコロナも収まりつつありますので今後に期待しています。

北方風土館は3つのコースに分けられています。

一つは、「江戸蔵」。江戸時代に建築した一番古い蔵です。1階の天井には長い梁(はり)があり、大雪の降る喜多方の厳しい気候にも耐えることのできる建築様式を実地で見ることができます。

※梁・・・建築用語。柱の上に、棟木と直行する方向に横に渡して、建物の上からの荷重を支える部材。

「飯豊蔵」に移転する前までは酒造りの作業場として使用していました。当時は観光客からも注目されていた場所でした。

現在は昔の酒造りに使用したさまざまな道具(桶、酒舟、ビンなど)を展示、当時のお酒造りを思い起こすことができる場所です。

次に「大正蔵」。こちらは大正時代に建築した蔵で、現在は大和川酒造店の商品を展示しております。

大和川酒造店の商品がズラリと並ぶ「大正蔵」。

その前は、酒を貯蔵するタンクが壁一面に並んでいました。「大正蔵」は断熱性が高く、外気を寄せ付けない暖かさを感じます。四季を通じて温度の変化があまりありません。酒を貯蔵するには絶好の場です。

最後に1929年(昭和4年)に完成した「昭和蔵」。今は新工場「飯豊蔵」が活躍しており、現在は各種イベントに使われるファーメントホールとして利用しています。

主にコンサートや講演などに幅広く使用しており、蔵の壁は音が良く反響するため、生音の楽器による演奏には好条件の構造であります。

文化的・社会的に広く使われており、一般の方にも貸し出しをしております。見学コースを一通りご覧いただきましたら最後が、利き酒コーナーです。

「昭和蔵」で音楽関係のイベントにも活用されている

この北方風土館の展示やレイアウトを構成してから30年経ちました。

しかし、これから喜多方のお水の良さをしっかりとアピールできる展示方法、お酒の内容を解説できるレイアウトに一新し、観光客の方がゆっくりと滞在される環境である風土館としたいですね。

看板商品 「純米辛口 弥右衛門」の魅力

──看板商品についての解説もお願いします。

佐藤社長 今の大和川酒造店の看板商品といえば、「純米辛口 弥右衛門」です。これは辛口で口あたりがよく、軟らかく後味もスッキリしています。

スタンダードタイプのお酒ですが、香りも派手ではなく、どんな方でも相性がよく、冷でもカンでもおいしく飲める万能タイプです。

──「純米カスモチ原酒 弥右衛門酒」のシリーズも人気ですね。

佐藤社長 昔から造り続けている、独特の超甘口の濃いお酒です。甘みとうま味がふんだんにあるのです。

この「カスモチ」は当社の造語。醪(カス)を長く持たせる(モチ)という意味で、低温長期発酵の醸造方法を指します。昔からの看板商品で古くから愛され、峠へ旅する人たちの栄養ドリンクとしても愛されていました。

独特の甘口は女性にも人気があります。

日本酒度が全国的にも非常に珍しいマイナス20という天然の超甘口で、口当たりでコクがある一品に仕上がっています。

夏酒「真夏の吟の夢」に期待

夏酒「真夏の吟の夢」が本格販売

──こうした定番の商品だけではなく、季節限定のお酒も楽しみですね。

佐藤社長 冬場の限定商品が一番多いですが、春・夏・秋にも限定商品を発売しています。これからタイミング的に夏酒に切り替わるときです。

夏では冷やして美味しいお酒をご用意しています。その中でもオススメなのが、夏酒「真夏の吟の夢」です。

火入れ(加熱処理)をしていない生酒ならではのフレッシュで果実のような味わいです。夢心地に浸れる夏酒といえます。

酒蔵の社長就任は自然なこと

──話は変わりますが、社長に就任されてほぼ1年経ちましたが、なにか変化はありましたか。

佐藤社長 社長になる直前は、ほぼ同じ仕事をしていたため大きな変化はありません。

ただ、社長就任はコロナの最中でしたから、従業員の方が働いていることもあり、どう経営していくかについて改めて感じるようになりました。

事業を継ぐことについては物心がついてから、いずれ酒蔵を経営すると思っていましたので自然なことと受け止めていました。

──大和川酒造店も海外でのお酒の輸出を展開されていますね。

佐藤社長 大和川酒造店は、台湾、香港、アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、ブラジルの海外にいち早く進出し、「弥右衛門」などが好評を博しているのです。

現在、日本の食文化を代表する日本酒は世界に認められています。特にアメリカは日本料理が人気であるとともに、日本酒の販売も好調です。

ブラジルは日系出身者がおり、日本酒を飲まれる方も多い。そこで輸出についてはブラジルへの比率が一定数伸びていく予想をしています。

再生可能エネルギーにも挑戦

──今後の展開については

佐藤社長 先ほど「地の米」「地の水」「地の技術」と3つの柱の理念を説明しました。これに、「地のエネルギー」を新たに加えたい。

再生可能エネルギーを採用したお酒造りで太陽光やバイオマス発電などの地元のエネルギーを採り入れ、お酒造りに生かしたい。これから具体的に行動に移し、お酒造りでの再生可能エネルギー比率を上げていきたい。

地元のものを使ってお酒造りに挑戦してきましたが、再生可能エネルギーもその有力の柱とすることが今後の経営方針といえます。

合資会社大和川酒造店

〒966-0861 福島県喜多方市字寺町4761
TEL:0241-22-2233 
FAX:0241-22-2223

この記事の執筆者

長井 雄一朗

建設業界30年間勤務後、セミリタイアで退職し、個人事業主として独立。 フリーライターとして建設・経済・働き方改革などについて執筆し、 現在インタビューライターで活動中。

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