※トップ画像・・・鹿沢温泉(かざわおんせん) 紅葉館
群馬県の嬬恋村(つまごいむら)にある「鹿沢温泉 紅葉館」は知る人ぞ知る日本の秘湯の一つです。当主5代目、小林昭貴さんは大阪の有名な料亭で長年、修業をした板前さんでもあります。
小林家は5代にわたり、この鹿沢温泉と紅葉館を守り続け、この館は、「雪よ岩よ・・・」で知られる「雪山讃歌(さんか)」の作詞の舞台でした。
今回はその5代目当主・小林さんに話をうかがいました。
「鹿沢温泉 紅葉館」
5代目当主 小林昭貴さん
秘湯「鹿沢温泉」では6月下旬にレンゲツツジ群落が見どころ
──はじめに鹿沢温泉のご紹介からお願いします。
小林昭貴さん(以下、小林館主) 群馬県吾妻郡嬬恋村の最西端、田代地区の湯尻川沿いに鹿沢温泉はあります。
湯の丸山の中腹である標高1530mの高所に位置し、近くにある天然記念物の「湯の丸レンゲツツジ群落」※は見どころです。
※湯の丸レンゲツツジ群落・・・国の天然記念物に指定されたレンゲツツジの群落。群馬県吾妻郡嬬恋村大字鎌原字湯ノ丸山(湯の丸高原)に位置する。
鹿沢温泉は飛鳥時代の650年頃の発見とも言われていますが、本当かはわかりません。江戸の元禄時代に、鹿が傷を温泉で癒しているところが発見されています。
温泉名に「鹿」がついている理由は、この開湯伝説がもとになっているのです。元禄以降の江戸時代は、旅人や商人、あるいは農家の方が移動した時期でもあります。
鹿沢温泉周辺の一帯は、領主との関係で現在の長野県東御市とも関係が深く、群馬県だけではなく、長野県からも湯治客が来て賑わいました。
山の中に存在する温泉でしたので「山の湯」とも言われていました。
古くからスキーも盛んで、1925年(大正14年)の新聞記事に「鹿沢温泉は学習院その他の学生で賑わっている」との記述もあります。
しかし、1918年(大正7年)の大火事で鹿沢温泉街は壊滅してしまいました。本当に何もなくなってしまった状態だったといいます。
2代目当主の亀蔵は、「湯を守る責任がある」として、引湯管を整備しました。旅館は紅葉館1軒を残して他は現在の新鹿沢温泉の場所に移転されたか、廃業された方もおります。
なお、1968年11月には国民保養温泉地に指定されました。
花のことを少し申し上げれば、6月下旬には、湯の丸高原の天然記念物のレンゲツツジが咲きます。
7~8月は湯の丸林道の中間にある池の平に、シャクナゲ、コマクサ、アヤメ、マツムシソウなど高山植物が咲き競います。
ですから登山や植物や花が好きな方には絶好の秘湯といえるのです。
雲の中に温泉が湧いていた秘湯
──鹿沢温泉の魅力とは何でしょうか?
小林館主 紅葉館の源泉「雲井乃湯」は敷地内から湧いており、マグネシウムナトリウム炭酸水素塩泉という泉質で効能が高く、温度47.5度のかけ流しの温泉です。
この「雲井乃湯」は、当時の方々が「雲の中に温泉が湧いている」と表現したことに由来します。
浴槽は、わずか1時間で新鮮なお湯に入れ替わる大きさとしています。すり傷、筋肉痛、胃腸病・冷え性・神経痛、アトピーなどに効能があります。
紅葉館をリニューアルした際、浴槽だけは大切に引き継いでおります。現存する古い浴槽は、当館の2代目館主・小林亀蔵が設計し、それを守ってきました。
2代目が子孫に対して、「浴槽の大きさは変えてはいけない」と申し送りをしています。温泉に浸かると力強い熱さを感じることができるのです。
実はこの計算された浴槽が大変お客さまから気に入られていますから、2代目の発想は現代でも通用しているのです。
木材を多用し、2013年にリニューアル
──次に、「鹿沢温泉 紅葉館」についてご紹介お願いします。
小林館主 初代館主・小林亀蔵が興し、1869年(明治2年)創業、鹿沢温泉は当時数件の旅館や分校があり大変賑わっていました。
しかし大正の大火事後、この地では紅葉館のみが再建し、他の旅館は4km下がった今の新鹿沢温泉に引湯を行い新たに発足しました。
紅葉館は湯本として、新旧の鹿沢温泉の源泉を守っています。
また、2013年に修繕・改築した紅葉館には、新館に5部屋、旧館に5部屋ございます。新館は木材をふんだんに使用した、和モダンの建物です。
旧建物はいろいろと継ぎ足していましたので迷路のようになっていましたので、建物の設計はなるべくシンプルさを心がけました。
光が欲しいという意向もあり、フロントや食堂は吹き抜けの構造とし、解放感を持たせたデザインとしました。リニューアル工事では木を多く使用しています。
実は、施工は長野県の宮大工が担当されたので、建物はしっかりしています。
旧建物と比較すると部屋数は減少しましたが、その分明るくなりました。洒落た雰囲気ながら木のあたたかみを生かした造りですので、居心地の良さを感じていただけるでしょう。
大阪の料亭で修業された5代目当主による創作料理
──小林さんは大阪の料亭で長年修業された後に、5代目当主を継がれました。嬬恋村ならではのグルメにはどんなものがありますか?
小林館主 嬬恋村といえば、キャベツが有名です。川魚ではヤマメ、イワナもおいしく、特産「ギンヒカリ(ニジマス)」なども好評をいただいております。
信州サーモンは脂が乗っていますが、ギンヒカリは、筋肉質が特徴です。近隣や群馬県で採れた素材を生かしたお料理をご提供しております。旬を盛り込んだ約10品のコース会席は、一品一品手作りしています。
紅葉館の裏に川が流れ、その川の水を使い、ギンヒカリを養殖しているのです。この水が冷たいので、魚の身がしまっていきます。
成長するには時間がかかりますが、おいしく召し上がることができます。刺身のほか煮たり焼いたりするほか、コロッケにもできます。
このコロッケは、ホワイトソースをギンヒカリに巻いて仕上げています。
また、好評をいただいているのが赤城牛のビーフヒレカツ。素材を最大限に生かしつつも、食パンを小さなサイコロのように切り、それをころもにして揚げるのです。
サクサクとした食感の揚げ物が出来上がりです。また、秘伝のソースを使っているので、お客さまからは、「これは初めて食べた」と大変好評を得ています。
群馬県川場村の永井酒造の「谷川岳」というお酒を入れており、私はこのお酒を気に入っており、お客さまに提供しています。
※永井酒造のインタビュー記事は下記をご覧ください。
紅葉館で飾られている「雪山賛歌」の詩と小林さん
──この紅葉館はあの有名な「雪山讃歌(さんか)」※の作詞の舞台であったそうですね。
小林館主 「雪山讃歌」の作詞者は、西堀栄三郎さん(故人)※です。今も昔も山を愛する登山家が歌う「雪山賛歌」はこの紅葉館で生まれました。
※雪山讃歌・・・西堀栄三郎(故人)さんが京都大学山岳部の仲間たちと群馬県嬬恋村の鹿沢温泉を訪れたときのことです。
1927(昭和2年)年1月ではあいにくの吹雪でスキーを楽しむことができず、紅葉館に足留めされていました。
西堀さんは退屈を紛らわせるために、「山岳部の歌を作ろう」と仲間に提案し、仲間うちで好きなままに言葉を当てはめて作詞を作成しました。
この歌は学生登山家や当地周辺の山岳観光関係者に広まり、歌い継がれるようになりました。
後にダーク・ダックスなどのプロの歌手グループも歌われ、一般の方々に知られるようになったのです。
※西堀栄三郎氏・・・京都大学教授をつとめるなど技術者、登山家、研究者などさまざまな顔を持つ。1956(昭和31年)年には、日本初の南極越冬隊長に任命され、越冬に成功。現在の日本の南極観測事業を切り開いた人物としても知られている。
西堀さんはたびたび紅葉館に訪れ、京都大学で教授をつとめる研究畑の方でしたので、長い時は論文執筆のため2か月も宿泊されたことがあります。
その後3代目館主の小林大助(故人)が西堀さんに、「雪山賛歌」の「是非歌詞を書いてほしい」と頼み込みました。
西堀さんは「下手な字を後世に残したくない」とはじめは断わられました。ただ大助の熱意も強く、その熱意に押されて直筆を残されたとのことです。
紅葉館から少し南に上ったところに、嬬恋村は1971年に「雪山讃歌のおこり」を記した記念碑とこの時の直筆の文字を基に、「雪山讃歌」の歌詞を記した石碑を建てました。
西堀さんの息子さんはいまも宿泊されています。
スキー場など観光地に恵まれる立地
──アクセスと近隣の観光地について教えてください。
小林館主 群馬県嬬恋村と長野県東御市をつなぐ、県道94号線を進みレンゲツツジの大群落で有名な湯ノ丸山の東側に鹿沢温泉は位置します。
道筋には100体の観音像が祀られており、そのちょうど100番目が鹿沢温泉にあたります。
公共交通機関をご利用の場合は、JR吾妻線 ⁄ 万座・鹿沢口駅で降りてそこからタクシーで20分ほどです。
ここはスキー場が近隣にあります。たとえば首都圏に一番近い、天然パウダースノースキー場「信州湯の丸スキー場」はクルマで4分。
晴天率の高いゲレンデ「鹿沢スノーエリア」はクルマで約10分の距離です。
登山される方には、標高2,101m「湯の丸山」が最適で、紅葉館のそばに登山口があります。
天気が良ければこの山から360度のパノラマで素晴らしい光景を楽しむことができます。実はこの山から富士山を見ることができるのです。
ほか軽井沢はクルマで約50分、善光寺はクルマで約80分、草津温泉はクルマで約45分の位置にあります。また、八ッ場ダムも遠くない場所にあります。
山の中にある温泉ですので、自然の音や川のせせらぎをぜひ楽しんでほしいです。
鹿沢温泉 紅葉館
〒377-1614 群馬県吾妻郡嬬恋村田代681
TEL:0279-98-0421
FAX:0279-98-0431