【保津川遊船企業組合】400年以上の歴史を持つ保津川下り。その魅力と歴史をひも解く

保津川下りは京都府の丹波高地にその源を発する保津川(桂川)の流れに乗って、渓谷の間を手漕ぎ船で下るアクティビティです。

かつては京都・大阪へ物資を運ぶ水運として利用されていた保津川ですが、現在では美しい自然の景観とスリリングな船下りを楽しめる場所として毎年約25万人の観光客が訪れています。

今回は保津川下りの魅力と歴史について、保津川遊船企業組合 営業統括理事 豊田覚司さんにお話を伺いました。

保津川遊船企業組合

豊田覚司さん

営業統括理事

江戸時代から受け継がれる手漕ぎ船に乗って、四季の絶景やダイナミックな急流を楽しむ

──「保津川下り」はどのようなアクティビティですか?内容や他にはない特徴、魅力などを詳しくお聞かせください。

豊田覚司さん(以下、豊田さん) 保津川下りは、丹波亀岡から京都の嵐山まで流れる保津川(桂川)を約2時間かけて和船で下っていく観光船です。

クルーズ船などのようなエンジンで動く船ではなく、江戸時代から受け継がれてきた手漕ぎ船「高瀬舟」を使い、人力で下っていきます。

1970年代まで船下りに使う船は木で作られていましたが、今はFRP(強化プラスチック)製のものになっています。ただ、観光船の形状は江戸時代から変わりません。

保津川下りでは春は桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色と移りゆく四季折々の風景に加えて、ダイナミックな急流、狭い岩の間をすり抜けるスリルたっぷりに嵐山の船旅を楽しめます。

また、船頭の卓越した操船技術はもちろん、アドリブで行われるお客様との掛け合いや楽しいトークも保津川下りの魅力の一つ。

保津川下りの歴史は400年以上。豊臣秀吉も重宝した水路

──保津川の歴史についてお聞かせください。

豊田さん 歴史書には、保津川が平安の昔から水路として利用されていたとの記述もあり、古くから水運の輸送路として利用されていたようです。長岡京・平安京の造営時には丹波の天然木材を筏にして流され輸送された記録も残っています。

室町時代末期には、豊臣秀吉が保津川の筏師を保護し、諸役を免除する朱印状を与えるなど、京都の人々にとって丹波と京都を結び、都へ流れ出る川として、保津川が重要な水路であったことは間違いありません。

今日のように船下りが盛んになったのは、慶長11年(1606)に京都の豪商・角倉了以が拒否を投じて保津川の開削に着手し、丹波と京都を結ぶ船運を拓いたことに始まります。

幾多の犠牲を払って角倉了以が築いた水路はそれから400年以上の長きに渡り、船運・遊覧船の船下りに使われることとなりました。

──保津川は蛇行しており、流れも急でそれほど荷物の運搬に適した川とは思えませんが、水路としてこれほど重要視され、利用されたのはなぜなのでしょうか。

豊田さん いい質問ですね(笑)

保津峡は土地が隆起し、かなりでこぼこした地形になっていることが保津川の流れを激しくしている原因と言われています。

そのため、実は桂川の上流である保津川以外の場所では、比較的川の流れは穏やかです。保津川に入ると川が蛇行し、水の流れも急になります。

角倉了以が保津川を開削する以前から、この水路を通じて丹波の木材が京都へ運ばれていきました。

私も、保津川の急な流れは水運に適したものではないと思います。しかし、山を越えて木材を運搬するのは大変な重労働です。

保津川は山に囲まれていることから難所も多く、開削には多くの犠牲者も伴いましたが、しかし、それでもどうにかして丹波山地の良質な木材を運びたいという思いがあり、利用されてきたのだと思います。

丹波山地・・・保津川(桂川)の流れが源を発する地域。

水運から遊船の川下りへ。移り変わった役割

──保津川は水運としての利用が一度は途絶え、明治28年ごろから遊船として保津川下りが再開したとのことですが、再開にはどのような経緯があったのでしょうか?

豊田さん 先述の通り、今から約400年前に京都の豪商・角倉了以が保津川峡谷を開削し船運が疎通しました。

しかし、明治に入って鉄道が開通すると人々の移動や物資の運搬が陸路に移り替わり、運搬に水路が使われなくなります。

そのため、保津川周辺の村の人達の中で保津川を有効活用しようという話になり、明治32年より遊船事業が始まりました。

保津川を下る舟は荷船から遊覧船へと姿を変え、現在では年間25万人の人々に楽しまれています。

──他の場所でも同じような動きはあったのでしょうか?

豊田さん そうですね。おそらく水運事業から遊船事業へと転換する動きはどこでもあったと思います。

しかし保津川のように今でも遊船事業を続けているところは少なく、途絶えてしまっているところがほとんどです。

保津川は嵐山など周辺に観光名所があり、立地に恵まれたということもあって、今日まで続けられているのだと思います。

外国人観光客も絶賛した船頭のおもてなし力

──保津川下りは「Michelin Green Guide Japan」にも掲載され、国内外の観光客にも人気かと思います。海外から保津川下りを体験に来る方の反応はいかがですか?

豊田さん Googleやトリップアドバイザー、ウェイボーなどのレビューでご好評いただいております。私の体感では9割くらいの方が良いレビューをしてくださっているように感じます。

中でも、特に私の印象に残っているのはウェイボーで見た中国人観光客の方のレビューです。「悪いことが書かれているんじゃないか」と心配していたのですが、レビューの内容は保津川下りを絶賛するものでした。

「船頭がとてもフレンドリーで、言葉が通じなくても楽しませようとしてくれた」「景色はもちろんのこと、船頭の対応も素晴らしかった」「日本を訪れたら必ず行くべき場所」とまで書いてくれていたのです。

私も船頭として働く一人ですが、船頭はほとんど中国語を喋れません。

知っている言葉と言えば「謝謝」くらいのもの。英語だってそれほど流暢ではないのですが、外国人観光客の方がいたら「写真を撮りましょうか?」と声をかけたり、操船を体験させてあげたりと、できるだけコンタクトを取ることを心掛けています。

ですからウェイボーのレビューを見て、言葉はなくてもこうしたおもてなしの気持ちは伝わっているのだと感激しました。

保津川下りはオンリーワンの魅力を持つスポット

──観光客の方が感じる保津川の魅力はどんなところにあると感じていますか?

豊田さん 保津川下りの良さは他にはないオンリーワンの魅力を持つ観光地であるところです。

神社・仏閣は詳しい人でなければ、みな同じに見えてしまうということもありますが、美しい保津峡の景観やスリリングな川下りは他の観光スポットにはない保津川ならではのものでしょう。

保津川下りはMichelin Green Guide Japan(ミシュラングリーンガイドジャパン)で一つ星の評価をいただいてます。

アクティビティをメインとした観光地のうち、一つ星の評価がついているのは関西圏でうちだけです。こうした評価からも、やはり保津川下りはオリジナリティの高い観光地なのだなと感じます。

──どこから、どのような目的で訪れる観光客の方が一番多いですか?

豊田さん コロナ前の2019年は年間24万人のお客様が保津川下りに訪れていました。そのうち7万人が外国人のお客様で、さらに外国人のうち4万人は中国から来た方です。

外国人観光客でも日本人と帯同してくる方は日本人としてカウントされますので先の数字は正確ではありませんが、体感として日本人:外国人の比率は6:4くらいだったと思います。

保津川下りはトロッコ列車や湯の花温泉とのセットツアーになっていますので、行きはトロッコ列車でやってきて、温泉に入ってから川下りを楽しむというお客さまが多いですね。

「保津川を守りたい」。船頭たちから始まった環境保全活動

──エコグリーン委員会の環境保全活動について教えてください。環境保全活動を始めたのはいつからでしょうか?また、どのようなきっかけで始められたものですか?

豊田さん エコグリーン委員会が発足したのは2007年です。2006年に保津川開削400周年を迎え、これを記念して何か保津川の長い歴史を周知できるような活動をやろうということになりました。

そこで船頭たちから「保津川の環境問題を考えていかなくてはいけないのではないか」という声が上がり、始まったのがエコグリーン活動です。

当時はプラスチックのゴミが増えてきていた時代で、川周辺に残されたバーベキューのゴミやビニールごみなどが、雨で増水した川に散らばり「ゴミの島」となって川に渦巻いている光景がしばしば見られました。

川に現れた「ゴミの島」

豊田さん 川にゴミがあるとお客様からの見栄えも悪いですよね。そのため船頭がメインとなってエコグリーン活動として、清掃活動を始めました。

そのうち、我々の活動を見ていた地元の方々が「これはいち民間企業だけがやる仕事ではない」と協力してくださるようになりました。

現在では行政・市民・NPO・大学・企業などさまざまな人がエコグリーン活動に参加してくださり、活動の輪はどんどん広がっています。

──保津川の清掃活動は誰でも気軽に参加できるようなものなのですか?

豊田さん 保津川は歩道が整備されているような場所ではないので、ごつごつした岩場は歩きにくく、また川の水で足元が濡れているため滑ってしまう可能性もあります。

そのため、ただゴミを拾うだけでも重労働で体力がいるものです。夏場なんかはかなり疲れてしまいます。

──生半可なやる気では取り組めないということですね(笑)活動の成果は現れていますか?

豊田さん まだ全てのゴミを取り除けているわけではありませんが、粘り強く取り組んできたおかげもあって、活動開始当初より明らかにゴミは減ったと思います。

また、保津川周辺では行政もごみ問題の解決に向けて施策を行ってきました。

亀岡市では昨今のレジ袋有料化に先駆け、2021年1月1日より条例でプラスチック製レジ袋の提供を禁止しています。これは当時、日本で初めての取り組みでした。

私自身、当時は「レジ袋を減らしてもゴミは減らないのでは」と懐疑的でしたが、まずは『ゴミを出さないようにする』という意識から変えていこうという話になり、レジ袋の有料化→提供禁止という風に進みました。

清掃活動に加えてこうした取り組みのおかげもあり、ビニールごみはかなり減ってきたと感じます。

川を綺麗に保つことは、海の環境を守ることにも繋がる

──特別船ツアー「かめおか保津川エコna川下り」も開催されていると聞きました。ツアー参加者の反応はいかがですか?ツアーの前後で何か変化はありましたか?

豊田さん 保津川の上流付近には町が多く、生活のゴミがかなり目立つようです。プラごみや缶といったゴミだけでなく、不法投棄されたタイヤ・自転車・ブラウン管・傘・肥料袋などのゴミが落ちています。

得体のしれない鉄ごみなんかも漂着しており、こうした手では拾えないゴミを私たちは「下手物(げてもの)」と呼んでいるのですが、参加した人はまさか嵐山の渡月橋の上流にこんなに多くのゴミが漂着しているとは思わず、皆さんとても驚かれていました。

川を清掃することは単に川の景観をよくするだけでなく、川から海に流れ出て海洋ゴミになることも防ぎます。

日本海にも韓国などからのゴミが漂着して問題になることがありますが、人口から言って日本から海外の海岸や浜に漂着するごみもかなり多いはずです。日本のゴミがハワイに漂着したなんて話も聞きます。

漂流ゴミが国際問題に発展することも考えられますし、ゴミ問題は世界的に重要な課題ですよね。私たちが川をきれいに保つことで美しい景観を守れるだけでなく、その先にある海を守ることにも繋がります。こうした活動はぜひ今後も続けていきたいですね。

保津川遊船企業組合

〒621-0005 京都府亀岡市保津町下中島2
TEL0771-22-5846 
FAX:0771-25-1550

この記事の執筆者

海野 みき

取材・インタビューを中心に記事を執筆しているフリーランスのWebライター。SEO記事やレビュー記事の執筆も行っています。

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